悲 眼 院

ひげんいん

悲眼院の歩み

《悲眼院の歴史》

 悲眼院は1914年(大正3年)1月3日に救療事業を行う診療所として創設されました。

 「悲眼院」は、薬師如来の本誓のうちの、「仏の力により心の眼を開く」という意味の言葉である「悲生眼」から名づけられ、設立にあたっては笠岡市の医師や近隣のお寺が発起人となり、医術と信仰を併進し、浄財の寄付金のみで運営されました。

 当初は眼科治療のみでしたが、巡回治療から内科、巡回産婆、児童保護事業、妊産婦支援事業、児童健康相談所を経て、1950年(昭和25年)9月、救療事業から新たに虚弱児施設を開設しました。

 そして、1998年(平成10年)に児童福祉法第41条に基づく児童養護施設となりました。

《沿革》

大正  3年  救療事業所開始

昭和  3年  妊産婦・児童健康相談所を開始

昭和12年  軍人遺族救護を開始

昭和25年 児童福祉法に基づく虚弱児施設の認可

平成10年 児童福祉法改正により児童養護施設となる

令和  7年 社会福祉法人慈弘会設立、現在に至る